
来る日も来る日も、解熱のための注射が小さな細い腕になされました。ぐったりして、日ごとに細くなっていく子供に、「私の体が代われるものなら」と何度も思い悩みました。
やっとのこと病気から解放されたものの、その代償はとてつもなく大きかったのです。
当然、聞こえるはずの音に反応しないのです。言葉をかけても時計の音にも。
「これはおかしい」と、病院を随分と回り診察を受けました。しかし、どこの病院でも結果は同じてした。そして最後に、「解熱のための注射に問題があったのではないか」と言われました。何の知識もない私たちに、わかるはずはありません。
僅かに抱いていた希望も、無残に裏切られ苦しい日々を過ごしてきました。
このころ、農繁期には季節託児所が開設されました。幸雄は音はなくとも手先が器用だったせいか、折り紙などとても上手だったようです。近くの子が十人ほど、我が家に折り方を習いにきました。
いよいよ就学期になると、ろう学校の先生が来られて学校の様子を話され、私どもも学校へ出かけて少しは学校のことを理解しました。
四月に入ると、小さな幸雄を親から離さなければなりません。悲しくて涙の日々を送っていました。
入学当目、主人が子供を連れて出かけのですが、私は庭先からその姿が見えなくなるまで、後を追い続けました。
主人も子供と別れるのは辛いけれど、ちょっと離れた隙にそっと学校を出ました。一人ぼっ
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